おもしろがり速報

芸能ニュースや旬なニュースをまとめてお届けします。
芸能人、有名人、アイドルの噂やスキャンダルなど
おもしろネタや記事を配信します。

    タグ:美川憲一


    美川 憲一(みかわ けんいち、1946年5月15日 - )は、日本の歌手、俳優、タレントである。本名は百瀬 由一(ももせ よしかず)。長野県諏訪市出身。血液型はA型。独身 。 生い立ちは複雑で、母が妻子ある交際相手との間に出産した子供が由一(美川の本名)だった。一人で育てていた母が肺結核を患い、2…
    108キロバイト (9,544 語) - 2023年1月9日 (月) 05:42
    カミングアウト・・・

    1 底辺youtuber ★ :2023/01/19(木) 16:25:26.93ID:UYMAujPZ9
    「さそり座の女」や「柳ヶ瀬ブルース」など数々のヒット曲で知られる歌手・美川憲一(76)が、8日に配信された読売新聞系の情報サイト「ヨミドクター」のインタビュー記事で、「それで商売になるならいいじゃない? 毒吐いてお客さんも笑ってくれるし」と告白。オネエはキャラであることを明かしたという。

    美川は、昨年3月放送の「突然ですが占ってもいいですか?SP」(フジテレビ系)でも「根本は自分で男だと思っている。女っぽくなりたいとも思わなくて」と吐露し、スタジオの共演者を驚かせたが、自身についてこのように語るようになったのは最近のことだというが、なぜこのタイミングでカミングアウトしたのか? 

    美川にインタビューしたことがあるスポーツ紙記者は、

    「美川さんは別に隠していたわけではないと思います。元はCMから発展して定着したキャラのようですが、それに輪をかけて、独身ということもあり、世間が勝手にイメージを作り上げていただけ。過去には結婚を考えていた方もいて、恋愛対象は女性であることを認めています」

    と話す。

    10数年の低迷期を経て、80年代末にコロッケのモノマネで再ブレイクを果たしたが、自分からモノマネをするように頼んだのは業界では有名な話であり、その際、それまでのスーツで歌う姿から現在のスタイルにキャラ変。つまり、売れるために自己プロデュースした結果だと「アサ芸ビズ」が報じている。https://ima.goo.ne.jp/word/231010/ 2023/1/19 14:31

    【【衝撃】美川憲一 なぜこのタイミングで・・・・wwwwwwwwwww】の続きを読む


    美川 憲一(みかわ けんいち、1946年5月15日 - )は、日本の歌手、俳優、タレントである。本名は百瀬 由一(ももせ よしかず)。長野県諏訪市出身。血液型はA型。独身。 生い立ちは複雑で、母が妻子ある交際相手との間に出産した子供が由一(美川の本名)だった。一人で育てていた母が肺結核を患い、2歳の
    100キロバイト (8,409 語) - 2022年6月2日 (木) 11:02
    色々悩んだんだろうな~・・・・

    1 陽気な名無しさん :2022/05/21(土) 08:54:16.73
     歌手の美川憲一(76)が東京都世田谷区にある豪邸を売却したことが20日、分かった。1993年に新築し、生みの母、育ての母との3人で暮らした豪邸。当時「総額7億円」と言われ話題になった。
    https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/05/21/kiji/20220521s00041000044000c.html

    【【注目】美川憲一さん なんでこのタイミングで?・・・!!!!!!】の続きを読む


    美川 憲一(みかわ けんいち、1946年5月15日 - )は、日本の歌手、俳優、タレントである。本名は百瀬 由一(ももせ よしかず)。長野県諏訪市出身。血液型はA型。独身。 生い立ちは複雑で、母が妻子ある交際相手との間に出産した子供が由一(美川の本名)だった。一人で育てていた母が肺結核を患い、2歳の
    100キロバイト (8,409 語) - 2022年5月20日 (金) 23:39
    いくつまで歌えるんだろう?・・・

    1 湛然 ★ :2022/05/18(水) 05:16:21.10

    76歳になった美川憲一「これからもしぶとくしぶとく歌って行くわよ~」胡蝶蘭に囲まれ感謝
    5/18(水) 5:00 日刊スポーツ
    https://news.yahoo.co.jp/articles/02774e6763f701d0658a1d93fe08a8243771ecb8
    美川憲一のオフィシャルブログ

    (出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)



    歌手の美川憲一(76)が18日までにオフィシャルブログを更新。「これからもしぶとくしぶとく歌って行くわよ~」と76歳の誕生日を迎えたことを報告した。

    15日に76歳の誕生日を迎えた美川。「しぶとくいくわよ~」と題してブログを更新すると「私ごとですが、美川の誕生日だったのよ~」と切り出し、「とっても素敵なお祝いのお花をお部屋に入りきらないくらい頂き本当にありがとうございました」と感謝するとともに、豪華な胡蝶蘭に囲まれた写真を公開。

    続いて「また、お祝いのお電話もたくさん頂きました」「昨日はうのちゃんのお家でお祝いをして頂いたのよ~」とも明かし、「これからもしぶとくしぶとく歌って行くわよ~」とブログを締めくくった。

    (※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)


    【【驚愕】美川憲一 とんでもない重大決断・・・・・】の続きを読む


    美川 憲一(みかわ けんいち、1946年5月15日 - )は、日本の歌手、俳優、タレントである。本名は百瀬 由一(ももせ よしかず)。長野県諏訪市出身。血液型はA型。独身。 生い立ちは複雑で、母が妻子ある交際相手との間に出産した子供が由一(美川の本名)だった。一人で育てていた母が肺結核を患い、2歳の
    100キロバイト (8,347 語) - 2022年3月15日 (火) 16:54
    有名人が行くとまた人気になるかもな・・・。宮迫さん頑張れる・・・。

    1 爆笑ゴリラ ★ :2022/03/25(金) 20:35:40.22

    3/25(金) 17:35配信
    スポニチアネックス

    美川憲一公式インスタグラム(@kenichimikawa_official)より

     歌手の美川憲一(75)が25日までに自身のインスタグラムを更新。話題の焼き肉店「牛宮城」に行ったことを明かし、オーナーの元お笑いコンビ「雨上がり決死隊」宮迫博之(51)との2ショットを披露した。

     「先日、宮迫博之さんがオーナーをされている牛宮城へお友達と食べに行ってきたわ~」と書き出すと、2人で「宮迫です」のポーズを決めるショットをアップ。「アレコレ注文したけどおすすめのタンは美味(おい)しかったわ~ ハラミと焼きすきアラカルトも美味しかったわよ~ 食べてるところを撮られてたわ~」と肉を手にしたショットや肉をほおばるショットなども投稿。「今は注目されて良かったわね でもこれからが本当の勝負よ 宮迫さん頑張ってね!!」と締めくくった。

     美川の投稿に、ファン、フォロワーからは「流石美川さん 安心感が伝わってきます 宮迫さん頑張ってください」「美川さん優しい 宮迫さん頑張れー」「美川さん美味しそう!!!」「行きたいですー 美味しそう」「美川さんの愛のお言葉 素敵です」といった反響が寄せられている。


    (出典 www.sponichi.co.jp)

    https://news.yahoo.co.jp/articles/53fd7ba04a95bb1b653151e61fe470e8aca555f7

    【写真】ほら、美味しそうなお肉よ 美川憲一が舌鼓

    (出典 www.sponichi.co.jp)


    (出典 www.sponichi.co.jp)


    【【牛宮城】美川憲一さん さすがです・・・】の続きを読む


    確かにね・・・・・・・

    1 爆笑ゴリラ ★ :2021/12/25(土) 09:27:21.98

    12/25(土) 7:15
    NEWSポストセブン

    美川憲一ほか「落選歌手」が激白「紅白に物申す。せめてあの人だけは出してよ!」
    豪華衣装対決は紅白の名物だった(事務所提供)
     年末恒例のNHK「紅白歌合戦」には、その華やかな舞台の裏で、大物歌手の出演・落選の悲喜が交錯する。今年は五木ひろしが落選したことが話題になったが、これまでも多くのアーティストが栄光のステージを静かに去った。「週刊ポスト」(12月20日発売号)では、そうした落選歌手たちの「私はこうして乗り越えた」証言を集めているが、一方で、“落選の先輩”たちは、「あの人には出続けてもらいたい」というエールも送っていた。

     26回出場の記録を持つ美川憲一は、デビュー4年目の1968年に初出場を果たすが、1975年から1990年まで空白期間があった。1991年にカムバックを果たし、そこから19年連続出場して、小林幸子との豪華衣装対決などで番組を盛り上げたが、2010年に落選して今日に至る。「週刊ポスト」では、名物となっていた衣装バトルも「潮時になっていた」と淡々と振り返ったが、むしろその後の“盟友”の落選には未練があるとも語っていた。

    「2016年にアッコ(和田アキ子)が落選したじゃない? あれは残念だった。だって39回よ。なんで40回まで出してあげないのよ。そういう配慮はないのかしらと思いました。私に今後、紅白の可能性があるかどうかはわからないけど、番組はどんどん若年化しちゃってるじゃない。これには少し物申したいところはあるの。やっぱり紅白はすべての年齢層の人たちが楽しめる番組なの。いっそ、その年のヒット曲を集めるというのはやめにして、前半は若手、後半は昭和のヒット曲を振り返る番組にしたらいいんじゃないかしら」

     和田は落選当時、紅組最多出場記録を更新していた。それだけに、節目の40回目を前に落選したことは物議を醸し、和田自身、「毎日泣いた」「今回は観たくない」とショックを隠し切れなかった。紅白あわせた最多出場記録は1位が北島三郎の51回、2位が五木ひろしの50回だが、いずれも「大台」を達成してから舞台を去っている。この二人が紅白を卒業したことを残念がるのは、自身も20回出場している鳥羽一郎だ。

    「私にとって紅白は、子供の頃に北島三郎さんの歌を聴いて胸を打たれ、歌への強烈な憧れそのものでした。しかし、まさか自分がその歌い手を目指せるとは思っておらず、中学を卒業して漁師になって、夢は夢として心にそっと持ち続けていました。だから、高校を卒業した弟(山川豊)が上京して歌手デビューを目指していると聞いた時には、その夢がなにか現実味を帯びたようで居ても立っても居られず、船を下りて後を追って上京したんです。デビューは豊が1年早かったけど、紅白出場は私のほうが先だった。ただただうれしかったですよ。

     今年は五木さんが出なくなったことがショックだったね。がっかりしましたよ。北島さんも若い世代に譲ると言って出なくなったけど、やっぱりあの二人は出ないとダメだよ。北島さんの歌で舞う紙吹雪なんてさ、年末に見る桜吹雪のようだよね。個人的には、若い者に譲るとか勇退とか言わず、何歳でも目指すべき大舞台だと思っています」

     その北島の弟子である山本譲二も14回出場しており、その間、何度も落選、復活を繰り返している。大物の落選をどう見ていたのだろうか。

    「紅白が変わってしまったとか、そういうことを言うつもりはありません。時代の流れというのはあるでしょう。でも、演歌は日本の歌ですから、もう少し増やしてほしいなという気持ちはあります。田舎のおばあちゃん、おじいちゃんたちが、“これは誰かいね?”と言うことがあまりないように。僕は北島のお師匠さんに出会えて31歳の時に『みちのくひとり旅』がヒットして紅白に出られたわけですが、18歳で故郷を出て13年かかりましたからね。故郷に錦を飾れる、紅白はそんな舞台なんですよ」

    「国民的番組」という言葉が過去のものになりつつあるなか、NHKがなんとか視聴率を取ろうと四苦八苦していることは間違いないだろう。国民の誰もが納得するラインナップなどあるはずがない。変わりゆく紅白そのものが、時代に取り残されまいと、もがいているのかもしれない。前出・美川は、美川らしい視点で紅白の“時代遅れ”も指摘していた。

    「もう紅白なんて色で分けるのも変なのよ。私もかつては“紅組なんじゃないの?”とか言われたこともあったけど、もう紅や白だけじゃなくて、いろんな色の人たちが出てきてるんだからね(笑)」

     鋭い指摘だ。何年かしたら、「レインボー歌合戦」になっているかもしれない。


    (出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)

    https://news.yahoo.co.jp/articles/d92f3b4e1eabadfcbc44b535ce30a77b7c798f58


    【【あらま!】美川憲一他「落選歌手」 言いたいことはわかるけど・・・・】の続きを読む

    このページのトップヘ