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    タグ:島谷ひとみ


    島谷 ひとみ(しまたに ひとみ、1980年9月4日 - )は、日本の女性歌手。 アッパーチューン、バラード、異国情緒を醸し出すナンバーのほか、ポップス、ロック、ラテン、R&B、ジャズ、ハウス、ボサノヴァ、レゲエ、演歌など幅広いジャンルを歌いこなし、透明感のある歌声と高い歌唱力に定評がある。
    106キロバイト (11,832 語) - 2022年8月13日 (土) 13:40
    高熱が出たんやなあ

    1 ひかり ★ :2022/08/16(火) 15:57:00.08ID:CAP_USER9
     歌手の島谷ひとみが16日に自身のインスタグラムを更新し、新型コロナウイルスに感染したことを報告した。

     島谷は「えーっと、ワタクシコロナにナリマシテ。。。数日間お休みを頂き寝込んでおりました。関係者各位、並びにファンの皆様には本当に申し訳ない気持ち。はい」とコメント。

     「コロナは突然前触れもなくやってきました。深夜眠っているところに頭を殴られたかのようなズキーンッという頭痛に目が覚め」と明かし、「お熱を測ったら38℃超えでした。そこから、1週間きっちり39℃を超えるお熱が続き。。。やっとゴールが見えてきました。ただ、咳がひどくて。久しぶりの大風邪を引いたって感じです」と症状を説明した。

     「やはりよく効くのは、今回も頂いた、今まで風邪引いた時とかに自分が飲んでいた自分に合う風邪薬でした。症状的には風邪。風邪の時の薬を飲むと治る。ということは、風邪なんだろうな。と。けど、これは私の今回の症状です」と感想をつづった島谷。

     「※お写真は、ありのままのこの1週間の私w 臨場感 ベッドに根が生えておりました。目を閉じるとずーっと吸い込まれるように眠ってました。w」と寝ている写真などをアップし、「ご心配、ご迷惑をおかけした方々、しまたに、まもなくです 久しぶりにメッセージを送れる体力を取り戻しました。あと、完治まで2、3日ってところだと思います」と記した。
    報知新聞社

    https://news.yahoo.co.jp/articles/da6291038c7bea9454f45750db78144cfbec21f0

    (出典 hochi.news)


    (出典 hochi.news)

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    島谷 ひとみ(しまたに ひとみ、1980年9月4日 - )は、日本の女性歌手。 アッパーチューン、バラード、異国情緒を醸し出すナンバーのほか、ポップス、ロック、ラテン、R&B、ジャズ、ハウス、ボサノヴァ、レゲエ、演歌など幅広いジャンルを歌いこなし、透明感のある歌声と高い歌唱力に定評がある。
    105キロバイト (11,653 語) - 2022年7月23日 (土) 06:02
    歌手になるまで苦労したんだな・・・・

    1 湛然 ★ :2022/07/24(日) 06:40:49.09ID:CAP_USER9
    島谷ひとみ「このままじゃ帰れない!」国仲涼子と励ましあった“どん底”デビュー前
    7/24(日) 6:01 女性自身
    https://news.yahoo.co.jp/articles/6030f2b0f367cf4cc78a855ef7f276511a59d231
    小さい頃は家の前の海に向かって歌っていた島谷さん
    恥ずかしくて「歌手なりたい」と言えなかった学生のころの島谷さん

    (出典 img.jisin.jp)



    住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、カラオケで熱唱した歌の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

    「広瀬香美さんのボーカルレッスンスクールに通っていたこともあるんです。私にとっては、憧れの歌手で大先生。レコード会社のスタッフの方に『すごく影響を受けた』と言い続けていたから『じゃあ、楽曲提供を受けられるか頼んでみよう』という話になったんですね」

    広瀬香美から楽曲提供を受けた経緯を語るのは、島谷ひとみさん(41)。幼いころから歌手になることを夢見ていたと振り返る。

    「実家は瀬戸内海に浮かぶ小さな島。家の目の前の浜に立って、海に向かってどこまでも大きな声で歌っていました。父から『向こうの島に届くくらい大きく』って言われて」

    母の実家が営んでいたカキの養殖所の社員旅行には、従業員の家族や親戚まで集まり、夜は宴会で盛り上がった。

    「私のショータイムもあって、大川栄策さんの『さざんかの宿』(’82年)や、吉幾三さんの『雪國』(’86年)を歌うと、おじいちゃん、おばあちゃんが大喜び、おひねりをくれながら『大きくなったら、歌手になるんだよ』なんておだてるんです。まだ幼いから、その気になっちゃいますよね」

    歌を聴くのも大好きで『歌のトップテン』(’86~’90年・日本テレビ系)は欠かさず見ていた。

    「小学生時代は、フリフリの衣装がかわいかったWinkの『淋しい熱帯魚』(’89年)や、光GENJIの『パラダイス銀河』(’88年)といったアイドルソングが大好きで、家族で出かけるときは、姉が録音してくれた歌番組のカセットテープを車の中でずっと流していました」

    小学校高学年になると音楽の趣味が広がっていった。

    「いとこのお兄ちゃんの家に遊びに行ったとき『どれでも好きなCDを持っていっていいよ』と言われて手に取ったのが、ドリームズ・カム・トゥルーの『The Swinging Star』(’92年)。メロディはもちろんのこと、ソウルフルな吉田美和さんの歌声に衝撃を受けました」

    広瀬香美の『ロマンスの神様』(’93年)、『ゲレンデがとけるほど恋したい』(’95年)を知ったのも、ちょうどこの時期。

    「きっかけは、アルペンのCMだったと思います。“調律されたピアノを弾いているように、正確に歌う人だな”というのが、最初の印象」

    ずっと“歌手になりたい”と思っていたが、高校生にもなると、“現実的に無理だ”という思いもーー。

    「ところが’97年、高校1年生のときに、ワイドショー『ルックルックこんにちは』(’79年~’01年・日本テレビ系)の『女ののど自慢』女子高生大会に、近所のおばちゃんが申し込んでくれたんです。番組に出て歌うだけで、A~C賞の中から好きなものをもらえて、私はA賞の桐タンスと真珠のネックレス、スーツケースをいただきました」

    このテレビ出演をきっかけに、いくつかの音楽関係者からコンタクトがあった。これらの誘いは断ったが、高校卒業後の進路を改めて考えたとき、封印していた“歌手になりたい”という気持ちが湧き上がってきた。

    「そんなとき、たまたまスポーツ新聞で『第1回 THE JAPAN AUDITION』の広告を見つけたんです。安室奈美恵さんやDA PUMP、PUFFYなどそうそうたる顔ぶれが出演するオーディション番組で、“これに受かって、私は歌手になる”と決意しました」

    「女ののど自慢」の賞品としてもらったスーツケースを転がして、再び上京。ドリカムの『未来予想図II』(’89年)を熱唱した。

    「オーディションは『スター誕生!』形式。8社のレコード会社や芸能プロが札を上げてくれて、高校卒業とともに上京しました。芸能界を目指してトレーニングする女のコのための寮に入って、『わからないことがあったらなんでもこのコに聞きなさい』と紹介されたのが、少し先輩の国仲涼子ちゃんだったんです」

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