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    タグ:すい臓がん


    菅谷 大介(すがや だいすけ、1971年(昭和46年)11月19日 - )は、日本テレビのエグゼクティブアナウンサー。 千葉県佐倉市出身。千葉県立千葉東高等学校、千葉大学法経学部卒業、国際基督教大学大学院修了。 1997年に日本テレビに入社。 2022年1月、すい臓がんと診断される。抗がん剤治療を
    12キロバイト (1,160 語) - 2022年8月18日 (木) 13:58
    頑張って良くしてください・・・

    1 朝一から閉店までφ ★ :2022/08/18(木) 12:03:18.30ID:CAP_USER9
    2022-08-18 11:50

     日本テレビの菅谷大介アナウンサー(50)が「すい臓がん」であることが18日、わかった。同局によると、今年1月に人間ドックを受診して見つかり、抗がん剤治療、腹腔鏡手術などを受けたという。

     菅谷アナは、正月「箱根駅伝」の準備を兼ねて人間ドックを受けたところ、すい臓がんが見つかった。体調の変化は「全くありませんでした」とし、がんは自分と無縁だと思っていたという。

     その後、妻や子どもたちの支えを得て懸命に治療に励んできた。抗がん剤治療を経て4月に入院し、腹腔鏡による手術を受けた。「僕の場合は早く見つかって、早く治療ができた」と言う。

     5年生存率にも真正面から向き合う。がん克服者の小橋建太氏らからもエールをもらい、「1日1日をしっかり生きたい」と命を噛み締めている。

    https://www.oricon.co.jp/news/2246219/full/

    (最終更新:2022-08-18 11:53)

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    石原 良純(いしはら よしずみ、1962年(昭和37年)1月15日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者、気象予報士。本名同じ。愛称は「まゆ毛」「よっちゃん」「ずみさん」「ニンデマン」など。神奈川県逗子市出身。慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。湘南ブラザース所属。
    28キロバイト (3,416 語) - 2022年4月18日 (月) 23:00
    89歳か・・・ごめいふく

    1 爆笑ゴリラ ★ :2022/05/20(金) 15:06:55.78

    5/20(金) 14:31
    スポニチアネックス

     タレントの石原良純(60)が20日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。父で作家、元東京都知事の石原慎太郎さんの最後の日々を振り返った。

     還暦を迎えた良純。2月に父・慎太郎さんが89歳で、3月に母・典子さんが84歳で他界した。司会の黒柳徹子から「晩年のお父様にはたくさんお会いできたんですか」と聞かれると、良純はコロナ下で地方出張がなく、典子さんが体調を崩して施設に入っていたため、慎太郎さんの面倒をみていたとし、「なかなか大変な人ですから、大騒ぎの中で」と苦笑い。

     慎太郎さんには「たぶん意に沿わないことをたくさん言うと思うけど、おそらく僕はベストな状況をキープするためにいろんなことをするから」と伝えたというが、「まあ、ガンガンガンガンえらい風当たりでしたね。まあやり合いました」と回想した。

     「生命力っていうか、エネルギーがもの凄く強い人で」と良純。昨年10月にすい臓がんの再発が発覚したのも、慎太郎さんが自身で「病院に行く」と言い出しため。当初良純は「やめなよ、みっともないから。また便秘とか」と話したものの、慎太郎さんが1人で勝手に病院に行き、帰って来ると、「おい、大変だぞ良純、見たか、俺は本当に病気だった。死ぬぞ、3カ月で」と告知されたことを明かしたという。

     「さすがにびっくりして。そうですかとも言えずに、さすがに“どうもすいませんでした”って謝ったんですけど」とし、その後は「どうなんのかなと思ってたら、全然、本当にペースは変わらず、書きものをして、後の時間はDVDを見たりして、お酒も飲んでたし、たくさんは飲まないですけど、そうやって暮らして、看護師さんを怒鳴り、家政婦さんを怒鳴り、僕を怒鳴って」いたとした。

     「で、3カ月の最後の方になって、人と会うときは機嫌がいいんですよ、そうすると“89年の生涯はいい人生だったよな”っていうような話を、すごく朗らかに話をしていて」と明かした。だが最後の1週間は「これは俺は死ぬかもしれんな”ってやっと思ったんじゃないですかね」。慎太郎さんは医者に「俺は(自分の体と)80年付き合ってる。お前に何が分かる」などと話していたとし、当時は家と施設を行ったり来たりしていたが、「死というか、闇というか夜が怖かったんですよね。うちの親父はヨット乗りだったんで、夜の怖さは身に染みて分かっているんだと思うんです。夜が明けると生なんですよね。寝るのを怖がって、付添いの人にお酒飲まないかとか、書きものするから起こせとか言って、最後の1週間だけです」と明かした。

     また、慎太郎さんは昨年の大みそかはテレビに興味はなく午後9時ごろに「寝る」としたものの、すぐには寝られず騒いでいたという。そこで良純が「年末だから楽しく話でもしようよ」となだめたが逆に「お前、偉そうなんだよ。ちょっと成功したからって。説教じみたこと言うんじゃねえ。天狗になって」と怒鳴られた。良純は「これが死を目前にした人間の言うことですか。僕はね、“うわー、親父らしいな”って嬉しくなっちゃって、書き留めたんですけど、そういう生きていくエネルギーの強い人でしたね」とも話した。

     「だから、最後の1週間だけです(怖がっていたのは)。でもね、89年生きて、最後の1週間だけって凄いっていうかうまいことやったなっていうか」。最期の知らせは千葉にロケに向かっている途中に弟から「親父の容態、おかしいよ」と連絡があり、「昨日もそうだったぜ」と返したところ、1時間後に他界したと知らされたという。「僕は口をついて出た言葉が“マジ”、なんかちょっと笑っちゃったっていうか、アッパレと言うか、自分の死までそこまで踏み込んで、采配したのかなって言う、まあ死は怖かったでしょうけども」と語った。

     良純は叔父で1987年に他界した俳優の石原裕次郎さん(52)の晩年については周囲に怒鳴ることもなく、常に穏やかに最期を迎え、慎太郎さんも「俺はまねできない」と話していたとし、「あの戦い方とうちの父親の最期の戦い方は違うけれども、やっぱりなんか最終的には“そうやって人は亡くなるんだ”って言うのを見たかなという気はしますね」としみじみと話した。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/8f5895a44308e8e44b51bde1d0dd81943447d338


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